グラナート・テスタメント・シークエル
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機械と薬品で埋め尽くされた広い部屋に、一人の美女が辿り着いた。 まるで彫刻のように、どこまで綺麗で、白く、完璧なプロポーション。 完璧な造形の美しさゆえに、彼女は性的な色気とは無縁だった。 良く言えば神秘的、芸術的、悪く言えば人間味が薄い、温もりが感じられない。 まるで生きた女神像……それがケセド・ツァドキエルという女性だった。 「この部屋……見覚えがあるような……?」 部屋どころか、この城自体間違いなく今回初めて訪れたはずなのに、この部屋を知っているような気がしてならない。 「……既視感?……いえ……そうか、解りました」 ケセドは既視感の理由が解った。 この部屋はあの男の部屋なのだ、ファントムの本拠地にあった あの男の部屋……研究室とまったく同じ作りなのである。 置かれている薬品や機械も見覚えがあるものばかりだった。 「やはり、あの男が……」 ケセドは部屋の奥へと足を進めていく。 「……これは……」 ケセドは、巨大な円柱の水槽の前で足を止めた。 水槽の中に人間が……白いボリュームのある長髪の少女が浸かっている。 年齢は十三〜十四歳ぐらい、瞳は深く閉ざされていたが、物凄い美少女だということは間違いなかった。 いや、美少女などというありふれた言葉で済むレベルではない、これは人外の美貌、人間では決して到達できない次元に存在する美の結晶である。 「魔族?……いや、これは……」 『……我が眠り、妨げるのは……お前か、ケセド……?』 「なっ!?」 声が聞こえたと思った瞬間、少女の瞳が開かれ、赤い輝きを放った。 次の瞬間、円柱の水槽が『内側』から砕け散る。 培養液らしき液体と硝子の破片が舞い散る中、少女が地に降り立った。 「ん……む……っ」 少女はボーッとしているというか、まだ眠そうに目を細めている。 「……眠い……せっかく気持ちよく眠っていたというのに……何の冗談だ、これは……?」 少女は目をパチリと開けると、真紅の瞳で自分の掌を見つめていた。 「……あなたは、誰ですか? なぜ、私の名を知っているのですか?」 ケセドが声をかけると、少女はゆっくりと視線を己の掌から、ケセドに移す。 「……ケセド・ツァドキエル?……ああ、そうか、そうだったな……いや……ん?」 少女は自身の発言に疑問を持ったかのように、沈黙した。 「……どうしました?」 「何故、私はお前を知っている?……ふむ、記憶が断片化しているな……そもそも私は誰だ?」 少女はからかっているわけでもなく、本気でケセドにそう尋ねる。 「……私が知るわけないでしょう……」 ケセドは、嘘でも冗談でもなく、少女が本気で自分自身の正体を解っていないことを悟り、呆れたように嘆息した。 「……ユ?……ア?……キ?……キムラヌート(物質主義)? そうか、クリフォトの10iを埋めるための数合わせだったか、この体は……キムラヌート・ ナヘマー ……」 「クリフォトの一人ですか……」 ケセドは数歩後ろに下がると、手にしていた槍を構える。 「だが、それは肩書きであって名前ではない……名前……名前か……我が固体を現す言葉……そうだな、シャリト・ハ・シェオルとでも呼ぶがいい」 「シャリト・ハ・シェオル?」 「ああ、その名でいい。記憶がまだ最適化していないので、本名か、偽名か、今思いついた名前か解らぬが……響きが気に入った……」 シャリト・ハ・シェオルは口元に楽しげな微笑を浮かべた。 「むっ……それにしても、邪魔な髪だな……」 シャリト・ハ・シェオルは顔にかかった前髪を鬱陶しそうに掻き上げる。 シャリト・ハ・シェオルのウェーブがかった白髪はとにかく長くボリュームがあった。 後ろ髪など床に着いてなお余っている。 「ふむ……」 シャリト・ハ・シェオルはクルリと回転し、ケセドに背中を向けると、後ろ髪を床に引きずりながら歩き出した。 「待ちなさい……敵を前にしてどこへ行くというのです?」 シャリト・ハ・シェオルは足を止めると、ケセドを振り向く。 「服を捜す……それとも、お前は裸の女と戦いたいのか?」 「うっ……」 ケセドは言葉に詰まった。 無論、裸の女と戦いたいなどとは思ってもいないが、だからといってシャリト・ハ・シェオルが服を見つけて着るまで待ってあげなければいけない理由も義理もない。 それに、シャリト・ハ・シェオルは、攻撃してくださいと言わんばかりに、無防備過ぎる背中を晒していた。 「……まあいいでしょう。手早くお願いします」 ケセドは槍を床に突き立てると、大人しくシャリト・ハ・シェオルの準備が整うのを待つことにする。 「……ああ、あったあった…………むぅ? 薄いドレスしかないのか……それも色は白だけ……あいつの趣味か……まあ裸よりはいいか……武器は……なんだ、拳銃(オモチャ)しかないのか……」 シャリト・ハ・シェオルは、白いサマードレスを下着も付けずに直接纏った。 清楚な白一色のドレスは、スカートにスリットが入っており、胸の部分の布地も少なく、とても涼しげである。 「んん……」 シャリト・ハ・シェオルは左手に銀色の拳銃を、右手に黒色の拳銃を握った。 リボルバー(回転式)ではなく、オートマチック(自動)の拳銃のようである。 「待たせたな、ケセド。さあ、始めるか」 シャリト・ハ・シェオルは両手を胸の前で交差させると、ふわりと跳躍し、ケセドの前に優雅に降り立った。 「っっ……では、参りますよ!」 ケセドは、まずは相手の力量を計るかのように五分の力で槍を突き出す。 シャリト・ハ・シェオルはひらりと舞うようにその一撃をかわすと同時に、左手を突きだし拳銃を発砲した。 超近距離から発砲された弾丸を、ケセドは顔を横に動かして回避する。 「はっ!」 ケセドは透かさず、次の一撃を突きだした。 シャリト・ハ・シェオルは後ろではなく、横への最小限の動きでかわしながら、再び発砲する。 弾丸はケセドの左頬を掠めて、彼方へと消えていった。 「あなた……銃の使い方を間違えていませんか……?」 本来、拳銃というのは遠距離武器である。 相手の打撃武器が届かない間合いから、発砲してこそ優位性があるのだ。 それなのに、シャリト・ハ・シェオルは槍の間合い……ケセドの間合いに留まったまま、発砲を繰り返している。 「ん? 遠距離からの射撃など、お前なら容易くかわすか、槍で打ち落とすだろうが……現にこの距離からですらかわしているではないか」 「…………」 確かに、ケセドクラスの達人にとっては弾丸など、銃などたいして驚異のある武器ではなかった。 「お前に当てるには限りなく零距離で撃たなければならない……さあ、続けようか」 シャリト・ハ・シェオルはさらに間合いを前へと詰める。 「つっ!」 ケセドは慌てて槍を連続で突きだした。 槍術というものは間合いを詰められ過ぎては拙い。 「…………」 「なっ……」 驚くべきことに、シャリト・ハ・シェオルは槍をかわしながら、一歩一歩間合いを詰めてきた。 「ならば……はああああああああああああああっ!」 掛け声と共に、ケセドは必殺の七段突きを放つ。 この大陸に来てからのミーティアとの修行で体得した、神速による限りなく同時に等しい七発の連続突きだ。 一発一発が相手の体を跡形もなく吹き飛ばす必殺の威力と、狙った急所を貫く精密さを持っている。 「見事」 銃声が響いた。 ケセドの額に冷たい感触が走る。 銀色の拳銃の銃口が、ケセドの額に押し当てられていた。 ケセドの突きだした槍は黒色の拳銃で、半ばから『撃ち折られ』ている。 「ば、馬鹿な……」 シャリト・ハ・シェオルは前進しながら、七発の槍を回避し、その上、右手の拳銃で槍を撃ち折ったのだ。 どこに驚けばいいのか解らない……かわしたこと? その上前身したこと? それとも神速で動く槍に弾丸を当てたこと?……おそらく全てに驚くべきだろう。 そして、全てがケセドには信じられないことだった。 「時間軸や空間の操作でも、エナジー物資化による増殖でもなく、技術……速さで七発『同時』とはたいしたものだ……」 シャリト・ハ・シェオルは素直に賞賛の言葉を口にする。 「…………」 賞賛されてもケセドは少しも嬉しくはなかった。 それをあっさりとかわした者に言われても、嫌みにしか聞こえない。 例え、相手にその気が無くてもだ。 「散れ」 零距離で弾丸が解き放たれる。 だが、発砲よりコンマ数秒速く、ケセドは背中を反らしており、弾丸は彼女の額を剔りながら駆け抜けていった。 ケセドはそのまま後転し、間合いをとる。 「くっ……」 額を押さえているケセドの左手から血が染み出していた。 「ふむ、零距離でかわされてしまってはどうしようもないな……これ以上間合いの詰めようがない……困ったな」 困ったと言いながら、シャリト・ハ・シェオルは楽しげに笑う。 「やはり、お前達は二人揃ってこそだな。お前一人ではただの槍術の達人に過ぎない……お前の本質は『剣』であり、剣術なら私すら凌駕できるかも知れぬのに……『槍』である妹を扱うために槍術に転向したのだったな。槍術もすでに達人レベルではあるが……達人レベル程度では私は捉えられん……人間の域を超えぬ力など我が前には無力だ……」 シャリト・ハ・シェオルは両手を交差させるようにして前に突きだした。 「な……なぜ、あなたはビナーのことを……私達姉妹のことをそこまで知っているのですか!?」 今、シャリト・ハ・シェオルが口にしたことを、知っている者、ケセドが話した者は限られている。 「ん? 言われてみれば……なぜ、私はお前のことをそこまで知っている……?」 「私に聞き返さないでください……」 「まあいい、いずれは思い出すだろう……それよりも、そろそろ決着をつけようか、ケセド?」 「……ええ、そうですね。では……はあああああああああああっ!」 ケセドが両手で槍を構え直すと、彼女の体中から爆発的に闘気が放出された。 闘気が練られ、高まりながら、槍の穂先だけに集束されていく。 「残る全闘気を一点集中か……速さや技術ではなく威力に賭けたか……良かろう、つき合ってやる……」 「穿っ!」 ケセドが自身を巨大な光輝の槍と化すかのような最強の突きを解き放つのと、シャリト・ハ・シェオルが残る二丁拳銃の全弾を一気に発砲したのはまったくの同時だった。 「これで十回……いえ、十一回目でしたか?」 水色の半透明な剣が、ティファレクト・ミカエルを十文字に切り裂いた。 四分割されたティファレクトの肉塊は赤い霧に転じ、寄り集まると、再びティファレクトの形を再構築する。 「おのれ……」 「もし人間なら……いえ、不死身の吸血鬼でなかったらもう十一回は死んでいますよ。いったい後何回殺されたいんですか?」 男とティファレクトは勝負になっていなかった。 ティファレクトの攻撃を男が回避し、透かさず彼女を斬り捨てる……ひたすらこの繰り返しである。 「なぜだ!? なぜ、我の攻撃は全て貴様に届かぬ!?」 パワーもスピードもティファレクトの方が数段上にも関わらず、倒されるのは常にティファレクトの方だった。 「パワーは当たらなければ意味がない、スピードの差など、未来視と剣の技術でどうとでも埋められます。一言で言うなら、あなたは無駄だらけなんですよ、せっかくの圧倒的なパワーもそれでは台無しです」 男は嘲笑うような微笑を浮かべる。 「黙れ! 吸血鬼である我がちまちました小賢しい技など使えるか!」 振り下ろされた赤黒い剣を、男は避けると同時にティファレクトの首を刎ね飛ばした。 「これで十二回目……吸血鬼でも首を刎ねるか、心臓を貫けば死ぬ者は死ぬんですけどね……」 首無しのティファレクトの体は、宙を飛ぶ己の生首を掴み取ると、首と体の切断面を無理矢理繋ぎ合わせる。 「そんな下等な吸血鬼と我を一緒にするな……ふん……」 ティファレクトは接合を完了した首を試すかのように左右に動かして見せた。 「我が作品ながらたいした化け物ぶりですね」 男は苦笑を浮かべる。 「何? 今何と言った、貴様?」 「聞こえませんでしたか? 我が作品と言ったんですよ」 「我が貴様の作品だと……どういう意味だ!?」 ティファレクトは問いながら、男に無数のブラッドスラッシュ(血の刃)を放った。 「言葉通りですよ」 半透明の水色の剣から噴き出した水色の炎が、全てのブラッドスラッシュを呑み尽くす。 「あなたは私が無から、零から創造した吸血鬼、『親』も居なければ、過去も存在しません」 「な……何だと……」 「天然自然に生まれた吸血鬼でないという意味ではあなたもエリザさんと同じ『紛い物』……ですが、安心してください、あなたは『本物』以上の立派な吸血鬼ですよ。真祖だとか元祖だとか血統や生まれにばかり拘っている者共より、あなたは遙かに素晴らしい……」 「馬鹿な……貴様が我の造物主だと……ありえん! そんなことがあるものかっ!」 空中に浮遊していたティファレクトは男目指して急降下した。 「さて、あなたの心が折れるまで殺し続けてあげるのも一興でしたが……この後用があるのでそろそろ終わりにさせてもらいますよ」 男が意味不明な言葉を呟きながら、水色の半透明の剣の刃に右手の指を這わせていくと、剣の纏う水色の炎が白色に変色していく。 「断罪の炎(パニッシュフレイム)!」 神々しい白炎を纏った剣が、ティファレクトを十字に斬り捨てた。 「……すまない、少し狡かったかもしれないが……私自身知らなかった……」 ケセドの体を巨大すぎる黒色の大剣が貫いていた。 「……が……ぐぅっ!……あなた……はいったい……?」 ケセドは大量に吐血しながら、自分を貫いた『モノ』を見つめる。 大剣などという言葉で済む大きさではない、馬鹿馬鹿しいまでに巨大な黒い刃だった。 赤い宝石や模様が黒刃の禍々しさと美しさをさらに際立ている。 だが、それだけならどこかの闇の神剣だとか、魔剣とかとサイズ以外は大差ない……最大の違いはこの黒刃がただの剣ではなく、シャリト・ハ・シェオルの『右手』だということだった。 「Azathoth……混沌の右手か……妙なモノを材料にしてくれたものだ……」 黒い巨大すぎる刃は、ケセドから引き抜かれると、元のシャリト・ハ・シェオルの右手に戻る。 「ア……アザトース?……ぐっ……ぐふぅ!」 再度の吐血と共に、ケセドが床に崩れ落ちた。 拳銃の全弾発射と最強の突きによる衝突は、突き……ケセドの圧倒的な勝ちだったのだが、弾丸を全て弾き飛ばして迫った必殺の槍はシャリト・ハ・シェオルには届かない。 シャリト・ハ・シェオルの右の手刀……が変質した巨大な黒刃に、槍が届くより速く体の中心を穿かれたからだ。 「もう人型も保てまい……剣に戻り、半年は大人しく静養することだな。下手に動くと……完全に『崩壊』し無に帰すぞ」 「ぐっ……そ……そのようですね……薄皮一枚で首が繋がっている……気分……です……」 「もう喋るな、動くな……さもないと崩れるぞ」 「そう言われても……納得できません……十神剣には及ばぬとはいえ……この私(フラガラック)も……ある意味では神剣ともいえる……神の使った光の魔剣……その私がこんなあっさりと本質を砕かれるなんて……あああああっ!」 ケセドが金色に発光したかと思うと、次の瞬間、そこには蒼い髪の美女の姿はなく、代わりに、刃の中心を穿かれた一振りの十字剣が転がっている。 穿かれた刃は文字通り薄皮一枚で辛うじて繋がっているかのようで、床から持ち上げただけでも、自重で折れてしまいそうだった。 「光の神の使った魔剣……光の十字剣フラガラック(報復するもの)か……それにしても、なぜ、私はそんなことを知っている……?」 シャリト・ハ・シェオルは頭を抱える。 「……まあいい……とりあえず、あの男を問い詰めねばな……あの男?……ああ、そうか……いや……」 シャリト・ハ・シェオルは記憶の混乱を振り払うかのように頭を降ると、地面に転がっていた二丁の拳銃を拾い、部屋の外へと歩き出した。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |